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zoom RSS 召命について考える (2)

<<   作成日時 : 2008/02/01 19:55   >>

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翌朝、目覚めた時の気分は今でもよく覚えている。それはまるで雲ひとつなく晴れ渡った青空のような爽快さだった。夕べ、悲壮な決意をして泣きながら寝付いたというのに、いったいこの気分はなんなんだ?こんなことってあるんだろうか?

このとき、私は初めて「心」の存在を意識した。全ては脳に還元できるのに「心」などというあいまいで文学的な表現を、よりによって科学者である精神科医や心理学者が使うのは許せない。それぐらいの勢いで「世界」というものを理解していたのがそれまでの私である。だが、この爽快な目覚めによって、一気にそれが翻ってしまった。「こころ」って何か別のものなんじゃない?そうだ、きっとそうに違いない。これは私にとってまさに啓示だった。

そして、その証しを探し求めはじめるやいなや、その日のうちにスピリチュアル思想というものに出会い、やがてシルバーバーチ、ダスカロスと、私にとっては絶妙の順序でそれぞれの教えに巡り合うことができ、かれこれ2年近くになる。東洋に生まれるか、西洋に生まれるか、それにもまた意味があるのだ、というダスカロスの言葉に従って、仏教、とくにチベット仏教について、これから本を読んでいくつもりだ。それにしても、真理やスピリチュアルを名乗るまがい物が世の中にはそれこそ山のようにある。そういったものに惑わされず、読むべき本に読むべき時にめぐり合えたのは、絶対に私の選別眼によるものではない。

さて、神がいるということを頭では十二分に納得したつもりだが、実践となると遠く及ばず、自分もまた「神の子である」「霊である」と実感を持って感じたことはまだ一度もない。実体験を通して神の存在を感じられたと言う人がうらやましい。映画「コンタクト」でアロウェイ博士に起きたような精神の変容が、「召命」と言えるような体験が、果たしていつか私にも訪れるのだろうか?そんなことをぼーっと考えているときに、ある考えが浮かんだ。もしかして、私もすでに神の存在を実体験したんじゃないだろうか?

そもそも、「私の願いをかなえてくれたらあなたを信じます」などという思い上がった祈りなどあっていいはずがない。なのに、その願いを叶えてくれた上、真理に出会うための道筋まで示し導いてくださったのだ。これが神の愛でなくて何だろう。そういう意味で、あの夜、多摩丘陵で心から神に語りかけたという事実。無神論者がそうせざるを得なかっためぐり合わせ。そして世界観の劇的な変化。これらを全部ひっくるめて、わたしにとっての「召命」は始まっていると考えて良いのではないか。そんなことを思いついたら、感謝の涙がどっとあふれてきた。

4年前の私が読んだら、「コイツいっちゃってる〜」と笑い飛ばすか侮蔑するかして、ブラウザーのクローズボタンを押すだろう。その気持ちは良くわかる。なぜなら、これは体験してみないことには、納得のいかない世界観だからだ。4年前の自分を責めるつもりにはとてもなれない。

だから、これはあくまでも私のための備忘録。誰かに押し付けたり、説得したりしようとするためのものではない。ただ、こうやってブログという形で公開する以上、いつかどこかで誰かに何らかの影響を与える可能性をまったく期待していないとは言わない。

-後日談-
・リードが無くなってると思ったのは、慌てた私の勘違いだった。丘陵から下りて車に戻ったとき、シートの下から出てきたのだ。でも、今思えばそれもまためぐり合わせだったのだろう。

・夫は死のうなんてこれっぽっちも思っていなかったと言っている。単に私鉄の駅を目指して別のルートを歩いていただけだと。でも、私は信じていない。まあ、本当のことは夫にしかわからないが。

・今回の記事は、「美しさの中を歩め」というブログのこちらの記事に触発されて書いてみた。ヒューストン・スミスの「忘れられた真理−世界の宗教に共通するヴィジョン」も、こちらのブログで知った。とても読み応えがあるブログです。

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コメント(3件)

内 容 ニックネーム/日時
お久しぶりです。coyoteです。(覚えてて下さると嬉しいのですが…)。
以前から、隣接した次元で同時進行しているかのような貴宅と我が家の状況に、不思議な引力を感じつつ読ませていただいていました。当方の夫も目に見えて回復し、詳細は省きますが、彼がこれからの人生も私と歩むつもりであることがハッキリとわかる言動もありました。未だ完治には至っていませんが、深海の底のような毎日は過去になったと言えると思います。
coyote
2008/02/02 22:21
神について記述されていたので、思いきって書きます。私、クリスチャンです。(夫は違います。)
夫の言動に心が血反吐まみれだった頃、私は教会でいつもこう祈っていました。「私に力をお貸し下さい」と。でも、神様は何も応えて下さらない。ある日、いつものように「私に力を」と祈ろうとしたところ、私の口から出てきたのは「彼に力を」という言葉でした。え?…と自分で驚いた瞬間、神様が「そう、それでよい」と微笑まれたのがハッキリとわかりました。
それから、全てが再び回り出しました。自転が停止し凍てついた夜が続いていた地球が、また、ゆっくりと動きだしたかのように。
バカバカしいと嘲笑する人もいるでしょう。でも、思い返してみると、あぁ、あの時だ、と思う瞬間って確かにある、と私も思います。
ブラインドウォッチメーカーさんのブログに出逢えたのも、神様の思し召しかな、と、本気で思っちゃってるcoyoteでした。また、近況を拝読できるのを楽しみにしています。

coyote(続きです)
2008/02/02 22:22
coyoteさん お久しぶりです。もちろん覚えておりますともっ。
私は洗礼どころか教会にも行ったことがないですが、自分ではクリスチャンのお仲間だと思っています。というのも、シルバーバーチやダスカロスは「宗教」として歪められてしまったキリストの本来の教えを甦らせようとするものなので。
coyoteさんも、そうだったんですね。きっと良い方向に動き出して「卒業」されたので、こちらにいらっしゃらないんだろうと思っていました。予想通りで本当に嬉しいです。その瞬間のcoyoteさんの驚き、私にもすごく良くわかります。人によっては潜在意識の表れと言うかも知れませんが、そうじゃないんですよね。言葉で説明しようとすればするほど、胡散臭いものになってしまうので難しいところですが。私は神の存在にやっと気づいたという段階で、利他愛の実践には遠く及ばずですが、coyoteさんが「彼に力を」と祈った時から全てが回り出したということを励みにしてがんばります!これからもどうぞよろしく!
ブラインドウォッチメーカー
2008/02/05 09:07

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