ウツ夫と暮らす

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zoom RSS 召命について考える (1)

<<   作成日時 : 2008/02/01 19:55   >>

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ヒューストン・スミスの「忘れられた真理−世界の宗教に共通するヴィジョン」という本を、今読み終えたところだ。シルバーバーチの霊訓、ダスカロスの教えと共に、これから私の座右の書となるだろう。

この本と出会えた記念に、夫の鬱病をきっかけとして私自身に訪れたおどろべき価値観の変化について、ここいらで振り返ってみるのもいいのではないかと思う。言葉に載せた途端に、私が感じている「驚き」が陳腐化してしまうのは、この際承知の上でだ。なぜなら、忘れっぽい私には備忘録として必要だし、もしかしたら万が一にも誰かの慰めとなる可能性がまったく無いとも言えないからだ。

2004年。
鬱病という診断を受けて休職に入った夫は、日に日に自分の内側に閉じこもるようになって行った。私を含め周囲の一切に対する関心を急速に失っていく夫を毎日見ながら、私の中で抑えようのない不満、怒りが募っていくのを止めようがなかった。鬱病の本をいくら読んでも、私の苦しみを説明してくれる記述は見当たらない。患者がいかに辛いか、よって家族はいかにあるべきか、そんなことしか書かれていない。「あるべき」ように振舞えない私は落第者の烙印を押されたようなものだ。だが、自分を落第者だと責める一方、でも悪いのは私だけじゃないという気持ちも同じくらい、いやそれ以上に強く湧き上がってくる。

そんなふうに悶々と暮らして数ヶ月が経ったころ、突然夫がある提案をしてきた。ダライ・ラマ14世の書物に書いてあるという何個条かの心得。「これを実践して欲しい。もしそれができないようなら、そんな人とは自分はもう一緒に暮らせないと思う。」と言われた。発病以来、精神世界の本をよく読んでいるのは知っていたが、急にそんなことを言われても…。

ざっと目を通したが、もちろん悪いことが書かれているはずもない。だが、「ハイ、わかりました」と安請け合いできるような内容でもない。そんな無理難題を突然押し付けてくる夫は、まさに鬱病患者そのものだなと思いつつ、私は正直に答えた。「良いことなのかもしれないけど、私には無理だよ。できっこない」それを聞いた夫が何と言ったかは覚えていないが、私に失望したのは明らかだった。そして、より一層自分の内側に閉じこもっていった。

その年の暮れのことだった。ピアノの先生のクリスマス演奏会があり、前々から夫も一緒に行くと約束していた。確かに一緒に行ってはくれたが、それは文字通り約束の履行、義務の遂行。少しは夫の気晴らしになるかも、私も楽しめるかも、という期待は木っ端微塵に打ち砕かれた。帰り道、黙りこくった私の体からは失望と怒りが炎のように出ていたことだろう。

その数日後、やめておけばいいものを、またしても私は夫を買い物に連れ出した。なんだかんだ言って、当時の私には一人よりは二人でいる方が楽しそうに思えたからだ。でも、結果は同じだった。

ここから話の核心に入るのだが、実を言うと詳細はすっかり忘れてしまっている。ただし、覚えている断片の印象は驚くほど鮮明で、まるで映画のシーンのように思い返すことができる。

レジを出て出口に向かう途中。人混みの中で私は夫の数メートル後ろを歩いていた。ふと、私は歩みを止めた。なんとなく、理由も無く。
そのまま立ち止まって夫の背中をしばらく見ていたが、夫は気付かず距離はどんどん離れるばかり。突然私は回れ右をして来た方向へ逆戻りし、その先にあるフードコートの列に並んだ。そして、ベンチに座って注文したホットドッグか何かを食べながら「えへへ、やっちゃった」という妙に浮かれたような、後ろめたいような、そんな複雑な気持ちを味わっていた。

食べ終わって駐車場に行くと、夫がいない。「あれ?車に乗って待っていると思ったのに…」
多分、私を探してその辺をうろうろしているのだろう。なんとなくいい気味である。まあ、5分もすれば戻ってくるだろう。だが、10分、20分経っても夫は現れない。そうだ、よくよく夫の性格を考えてみれば、きっと怒って歩いて行ってしまったに違いない。なんだよ。これじゃ置いてけぼりをくったのは私の方じゃないか。腹が立って仕方なかったが、家から10km以上離れているし、途中には多摩の丘陵地帯がある。まさか本気で歩いて帰るわけじゃないだろう。車を走らせながら注意して探せば、きっとどこかでピックアップできるはずだ。そう考えなおして、車を発進させた。もしかしたら、その前に「どこにいるの?」というメールを送ったかもしれない。

いいかげん拾えてもよさそうな距離を走ったが、夫を見つけることはできない。なんてやっかいなヤツなんだ。もう知らない。勝手にすればいいじゃん!そう思って車のスピードを上げてしばらく走った後だったと思う。夫からメールが届いた。
それは英語で書かれていた。別に夫は英語が得意でも何でもないのだが、今にして思えば、日本語で書くにはあまりにも生々しい言葉だったから英語だったのだろう。「人生はもうおしまい」

私にとってまさに驚天動地の言葉だった。体中の血液が一気に頭に上って、手足ががくがくと震えだした。夫は死のうとしている。

急いでUターンして夫を探しなおした。店との間を2往復ぐらいしたかもしれない。でも、見つからなかった。次にすべきことは何か?どうしたら夫を探せるのか?どうしたら自殺から救えるのか?そうだ、警察だ。警察に行かなくては。でも、頭に血が上ってこんなに焦っている状態では、警察に着く前にこちらが事故を起こしそうだった。そうしたら万事休す。夫が死のうとしていることを誰にも伝えられない。とにかく冷静に、冷静に。必死で自分に言い聞かせた。

警察に飛び込んだときのことはよく覚えている。対応してくれたのは女性の私服警官だった。でも詳細は省略する。私が書きたいのはその後のことだから。正式な捜索願いには必要な書類がいろいろあるというので、とりあえずそれは後回しにして、私は再び現地に戻った。途中、義母や実家に連絡をし、夫が鬱病で休職していたことを初めて明かし、応援を頼んだ。

さて、夫ならどんな行動をとるだろう?どんな場所へ行くだろう?そのとき、目の前にある多摩の丘陵地帯に気付いた。確かここは遊歩道があって、自然公園になっていたはずだ。きっとここだ。幸い車には愛犬1号が乗っている。彼女の鼻と勘で夫を一緒に探してもらおう。そうだ。そうしよう。

しかし、後部座席のドアポケットからリードをひっぱりだそうとして、それが消えていることに気付いた。まさに最後通告を突きつけられたような気持ちだった。一番可愛がっている愛犬1号のリードを使って死のうとしている夫の気持ちを思うと、あわれで涙があふれてくる。そして、そこへ追い込んでしまった自分の責任を思うと、胸が張り裂けそうだった。

遊歩道を小走りで登りながら、そのカーブの先の木に、あるいはそのまた先の木の枝に夫を発見してしまうのではないかという恐怖と、いや、なんとしても食い止めなくてはという決意を同時に感じた。日も暮れて真っ暗な山の中に分け入り、声を限りに夫を呼び、暗闇の中、目を凝らして丘陵公園の端から端まで探したがみつからなかった。

万策尽きた感じだった。でも、諦めることはできない。夫を絶望の淵に追い詰め、最後は死に追いやってしまったという責任に耐えながら、この先ずっと生きていくのは、とてつもなく恐ろしいことだ。この期に及んでも、己の恐怖を動機とせずにはいられない利己的な自分というものを見せつけられる思いだったが、どう言い繕ってみても私が一番恐れていることはそれだった。この恐怖から救われたい。そのためには夫に生きていてもらわなければならない。だが、夫の姿はどこにもない。後悔だけの恐ろしい人生から逃れるすべはもう私には無いのだろうか?

いや、1つだけある。今も昔も、最後の最後に人間がとる方法が残っている。だが、困ったことに私にはその資格がないのだ。だって、無神論者のくせに、信じてもいない神に「助けてください」なんて言えるわけがない。もし「今日から信じます」と言ったとしても、そんな身勝手な願いが聞き届けられるはずもない。だが、私は今、本当に心の底から助けて欲しいと思っている。いったいどうしたいいのだろう? じゃあ、せめて嘘をつかずに頼んでみたら?自分の言葉に責任をもてる範囲で頼んでみたらいいのではないか。

人っ子ひとりいない暗闇の中だからできたことだが、私はひざまづいて額を地面に押し付けて、声に出して泣きながら神に祈った。「どうか夫を助けてください。お願いします。お願いします。私は神を信じていませんでしたが、もし助けてくれたら神を信じることを誓います。」

その後、駆けつけてくれた義母たちと合流し、一緒に探してもらった。だが、やはりどこにもいない。夜も更けて10時近くなった頃、「とにかく一度家に帰ってみようよ。もしかしたら戻ってるかもしれないし。ね?」と義母に説得されて帰宅して、夫の部屋の明かりが点いているのを見たときの安堵感といったら。ありきたりな言い方しかできないのが残念だが、とにかく心底ほっとした。

かくして、私の願いは叶い、自分の発した言葉への責任が残った。でも、ついさっきまで無神論者だったものが急に変われるはずなどない。もちろん、反故にしてしまえなどとはゆめゆめ思わなかったが、かといってどこかの寺、教会、新興宗教の信者になるという話でもないだろう。私はそういう意味で「神を信じます」と言ったわけではないし。いったい、どうしたら約束を果たせるのだろうか?

一方、現実問題として、この出来事をきっかけに私と夫との溝は、手の施しようがないほど深まってしまった。夫は私を徹底的に無視し、私は甘んじて罰を受けるような気持ちで、ひたすら耐え続けた。あの日の再現が怖くてすっかり萎縮してしまった私は、手や足がでないどころか、話しかけることにも困難を感じるといった状態だった。当然ながら、夫の治療に積極的にかかわることもできず(というか許されず)、妻としてのアイデンティティもすっかり喪失してしまった。このブログを書き始めたのはそれから数ヶ月後、夫が復職した頃だ。

私の極端な萎縮状態はかれこれ1年以上続いた。当時の記事を読むとその様子がわかってもらえると思う。私の苦しみを見るに見かねて、多くの方が心療内科やカウンセリング、鬱病家族会への参加を勧めてくださった。それはコメントとして残っているし、メールを直接下さった方もいる。それでも、私は行動しかねていた。まだまだこれぐらい苦しさでは、医者に見せるほどではないだろうと思っていたからだ。医者に病気だと認めてもらって、辛かったね、よしよしと言ってもらいたがっている自分の気持ちにもうっすらと気付いていたので、そんな甘ったれにはなるものかとも思っていた。もちろん、今、振り返ると、明らかに私も半病人だったと思う。だからこそ、みなさんが親身なアドバイスをいろいろくださったのだ。本人だけが、ことの重大性を自覚していなかった。

だが、そんな私もさすがにいよいよまずいのではなかろうか?と思い至るようになる。そして、とうとう決心した。「明日も今日と同じように悲しくて、一日中涙が止まらないようだったら、病院に予約の電話を入れよう。」 2006年2月の終わりごろのことである。

つづく

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
今、読み終わりました。でも引き摺られて自死への路を歩まないでよかったですね。私は引き摺られ共に逝こうとしました。もうこれ以上、生きても仕方ないと想い、500kmの道を走りました。でも今でも生きてます。生きてれば必ず道は開けます。夫さんも完治とはいかなくても寛解になると想います。それまでは観てる方が大変でしょうが見守るより仕方ないのですね。
お察しします。
梅里
URL
2008/02/03 23:03
梅里さん
まさに「引きずられる」という言葉がぴったりですよね。多分サポ側の誰もが一度は嵌る恐ろしい淵です。傍から見ているとそれとわかるのに、本人は自分だけは大丈夫だと思っている。当時の私はブログを訪問してくださる方をはじめとして、さぞかし周囲を心配させたことだと思います。梅里さんも生きていて良かった!
この病気は本人にしか治せないのだとつくづく思います。ほんと、私たちは見守り続けるしかないんですよね。
ブラインドウォッチメーカー
2008/02/05 09:27

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